浄土真宗の法名とは

「法名(ほうみょう)」は、「戒名(かいみょう)」といわれるものと同様に、死んだ人につける名前のように思われています。

 

※浄土真宗では、「戒名」とはいいません。

 

また、法名を亡くなった方にとって極楽へ往くための手形のように思っておられる方もあるようです。

 

一般には院号など、長い法名が孝行になったり、死者のためになるように考えられています。しかし、これは大変な誤解です。

 

法名の正しい意味とは

法名とは、阿弥陀仏に救われて本当の幸福になった人が、仏法の師・善知識から頂く名前のことをいいます。

 

阿弥陀仏に救われたら「正定聚(しょうじょうじゅ)の菩薩」となる、と親鸞聖人は教えられています。

 

蓮如上人はこのことを

 

「一念発起・入正定之聚」(御文章・聖人一流の章)

 

と明らかにされています。

 

「正定聚」とは、まさしく仏になることに定まった人々ということです。一息切れたと同時に、阿弥陀仏の浄土へ往き、仏のさとりを開く身になった人のことです。

 

その正定の菩薩になった人にお釈迦さまは、

 

「我が善き親友なり」

 

“私、釈迦の親友である”と手を差し伸べていられるのです。仏様が自らこうおっしゃってくださることは、大変尊く、もったいないこと。

 

ではせめてお釈迦様のお弟子にしていただきます、との意味で「釈」の字を頂き「釈○○」とか、女性なら「釈尼○○」とつけられるのが法名です。

 

ですから、法名は、亡くなったらつけられる名前ではなく、生きている間に阿弥陀仏に救われ、本当の幸福になった人が、善知識から頂く名前が法名です。

 

法名の長さも関係ありません。法名に金額をつけて、その長さによって料金が異なる、というようなことが、しばしば耳に入って参りますが、親鸞聖人も蓮如上人もなされなかったことです。

 

大切なことは、仏法を聞かせていただき、早く阿弥陀仏に救われて、本当の幸福の身になることです。いつ死んでも浄土往生間違いなしの大満足を獲ることです。

 

仏教の目的は、あくまでもそこにあることをよく知って、法名のことを通じて、住職や門徒総代から御門徒の皆様に伝えていただきたいと思います。

 

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