浄土真宗の勤行

浄土真宗の勤行とは、朝夕お仏前で、親鸞聖人の書かれた『正信偈』と、蓮如上人が書かれた『御文章』を拝読することです。

「一日のたしなみは、朝つとめにかかさじと、たしなむべし」

といわれるように、昔から浄土真宗門徒の一日は、朝の勤行から始まります。

「きみょうむりょうじゅにょらい」

と仏前で朗々と唱和する勤行風景は、浄土真宗の家庭でよく目にしますね。

「子供のころ、家族みんなでお勤めをしてから食事を取ったものです」

そんな、思い出のある方も多いでしょう。

そもそも勤行とは何でしょうか?
なぜ、昔から大切にされ、欠かさないのでしょうか?

浄土真宗の住職や門徒総代の方にはもちろん、御門徒の皆さまにも、ぜひ知っていただきたい大事なことです。

 

欠かしてはならない勤行

浄土真宗の私たちにとって、勤行はどれほど大切なことなのか、真宗中興の祖と仰がれる蓮如上人が、厚く信頼を寄せておられたお弟子・赤尾の道宗(どうしゅう)のエピソードに学びましょう。


道宗は、富山と岐阜の境にある山村、五箇山赤尾の出身でした。

蓮如上人が富山県井波の瑞泉寺にお越しになる時は、毎朝の勤行に、30数キロの険しい山道を歩いて参詣していたといいます。

 

蓮如上人が瑞泉寺で年を越されたある年のこと。道宗は、元日の朝の勤行に間に合うよう、真夜中に赤尾を出ます。

 

ところが、あまりの大雪で、進退窮まってしまったのです。

 

一方、瑞泉寺では勤行の準備が整っていましたが、蓮如上人は、

「道宗がまだのようだが」

と、気にかけられます。

「いくら道宗殿でも、この雪では……」

そばの者が答えると、

「いや道宗のことだ。必ず来る。しばらく待つことにしよう」

と、蓮如上人。

 

するとやがて、豪雪の中を転がるようにして道宗がやってきたのです。

 

その時、道宗を迎えるように、鐘と太鼓が大音声に打ち鳴らされたといいます。

 

「お参りしながら帰命無量のご調声にあえぬのは、3年のケカチ(飢饉)にあったようなものだ」

 

“ご法話に参詣していても、勤行に間に合わないのは、3年続きの飢饉に遭ったような大変な損失だ”

 

道宗の常の言葉です。

 

「一日のたしなみは、朝つとめにかかさじと、たしなむべし」

 

蓮如上人は、こうおっしゃっています。朝の勤行をしなければ、一日は始まりません。

 

では、朝晩、浄土真宗で拝読される親鸞聖人の『正信偈』と、蓮如上人の『御文章』について、解説しましょう。

 

>> 親鸞聖人の『正信偈』とは

 

>> 蓮如上人の『御文章』とは