浄土真宗のお盆について

「お盆」と言えば、日本の伝統的な仏事と言われます。浄土真宗の私たちは、お盆にどのように臨めばよいのでしょうか。

 

浄土真宗の住職、門徒総代は、お盆を通じてどのようなことを御門徒の方々にお伝えすれば良いのでしょうか。

 

ここではお盆について学びたいと思います。

 

お盆の由来とは

俗にお盆といいますが、正しくはウラボンといいます。

『仏説盂蘭盆経』から起こったものです。

 

このお経にどんなことが説かれているのか、お盆の由来について簡単にご紹介しましょう。

 

お釈迦さまの十大弟子の一人に目連(もくれん)という人がありました。

 

目連尊者は神通力第一と言われ、特に孝心の深い人でした。

 

その目連が神通自在力を得て三世を観ました時に、痛ましいことに亡き母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいることが分かりました。

 

彼は深く悲しんで、直ちに鉢に飯を盛って母に捧げましたが、喜んで母がそれを食べようとすると、たちまちその飯は火炎と燃え上がり、どうしても食べることができません。

 

鉢を投げ捨てて泣き崩れる母を目連は悲しみ

「どうしたら、母を救うことができましょうか」

とお釈迦様にお尋ねしました。

 

その時、お釈迦様は、

「それは、そなた一人の力ではどうにもならぬ。この7月15日に、飯、百味、五果などの珍味を十方の大徳衆僧に供養しなさい。布施の功徳は大きいから母は餓鬼道の苦難から免れるであろう」

と教導されました。

 

目連尊者が、お釈迦様の仰せに順ったところ、母はたちどころに餓鬼道から天上界に浮かぶことができ、喜びのあまり踊ったのが盆踊りの始まりだと言う人もあります。

 

盂蘭盆(うらぼん)は、この目連尊者の故事から先祖供養の日となって今日のお盆に続いているのですが、一体これは、私たちに何を教えているのか、味わってみましょう。

浄土真宗のお盆の意義

ウラボンという梵語(サンスクリット語)は、倒懸(とうけん)ということです。

倒懸とは、「倒さに懸かれる者」ということです。

 

ですから『盂蘭盆経』とは

「倒さに懸かれる者を救う方法を教えた経」

ということなのです。

 

 果たして、倒さまに懸かって苦しんでいるのは目連尊者の母だけでしょうか。

 

死後にだけ餓鬼道があるのではありません。腹だけが馬鹿に大きく、皮骨連立の奇形動物だけを餓鬼だと思っていたら大間違いです。

 

迷いを迷いとも知らず、真実を真実と信じられず、迷いを真実と誤解して苦しみ悩んでいる私たちは、仏の眼 からごらんになると皆倒さに懸かって苦しんでいる餓鬼なのです。

 

親鸞聖人は、

 

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、
 万のこと皆もってそらごと・たわごと・
 真実あることなきに、
 ただ念仏のみぞまことにておわします」

(歎異抄)

 

“火宅のような不安なこの世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない。ただ弥陀より賜った念仏のみが、まことである”

と仰っています。

 

キリのある身命を持ちながら、キリのない欲を満たしてから仏法を聞こうと思っている人のいかに多いことでしょう。

皆倒さに懸かっているものばかりです。

 

だから、金もあり、財産もあり、名誉、地位もあり、妻子ある者は、それらによって苦しみ、それらの無いものは、それらを求めて悩んでいるのです。有るも苦なら無いも苦です。

 

無ければ欲しい、あっても欲しい、欲しい欲しいと飢え続け、渇き続け、ウラミ続け、満足ということを知らず、苦しんでいる餓鬼ばかりが充満しています。

 

一体、どこに真の幸せがあるのでしょう。

 

すべての考えが顛倒していますから、四方八方ただ愁嘆の声のみが満ち満ちているのです。まさしくこれが餓鬼道の姿です。

 

物を求め、物を惜しみ、闘争諍乱の世界、この深刻な現実の自己を凝視する時、餓鬼こそ自己の実相であることに驚くのです。

 

亡き先祖のことばかりを案じて、わが身が餓鬼であることを忘れています。

 

お盆は亡き先祖を救う日ではなく、今、現に倒さに懸かって飢え、渇き、苦しみ続けて、未来永劫、流転しようとしている私自身を救う、聞法精進の日であることを忘れてはならないでしょう。

 

浄土真宗に限らず先祖の霊を迎える仏事はない

お盆といえば、一般には、地獄の釜の蓋(ふた)が開いて、先祖の霊が帰って来る日とされ、迎え火で迎え、送り火で故人の霊を送るのが風習となっています。

 

お盆になると、精霊棚を設け、盆提灯を飾り、精霊馬(ナスやキュウリを動物に見立てたもの)を用意したり、お盆の行事が行われる地域もあります。

 

では、浄土真宗の私たちは、お盆に際して、何をすれば良いのでしょうか。浄土真宗の住職や門徒総代は、お盆をご縁として御門徒に何を勧めれば良いのでしょう。

 

浄土真宗では、お盆だからといって、盆提灯を飾ったり、先祖の霊のために迎え火や送り火を焚いたり、精霊棚、精霊馬を用意したりするようなことは一切、致しません。

 

なぜなのでしょうか?

 

お盆になると地獄の釜の蓋が開いて、先祖の霊が帰って来る、という教えは、もともと仏教にはありません。ですから、浄土真宗に限らず、すべての仏教において、先祖の霊を迎えるような仏事は存在しないのです。

 

仏教で教えられる地獄とは

お盆になると地獄の釜の蓋が開いて、先祖の霊が帰って来ると言われますが、そもそも、仏教で教えられる地獄とは、どんなところなのでしょうか。

 

仏教で「地獄」とは、苦しみの世界(苦界)のことをいわれます。

インドの言葉で「ナラカ」(「奈落」は、ここから来ている)といい、地獄を8つに分けられているのが、「八大地獄」です。「八熱地獄」ともいわれます。

 

八大地獄の中で、最も苦しみの激しい地獄が、「無間地獄(むけんじごく)」です。「阿鼻地獄(あびじごく)」ともいわれます。

 

寿命は八万劫で、一劫は4億3千2百万年です。苦しみがヒマなくやってくるので「無間地獄」といわれます。

 

この世でさえ、なかなかお盆休みもとれないのですから、お盆に地獄の釜の蓋が開いて帰ってこれるようなところが地獄であれば、この世よりも結構なところかもしれません。また、そのようなところであれば、「無間地獄」とはいわれないでしょう。

 

浄土真宗はお盆に何をするのか

お盆が、先祖の霊を迎える行事でないならば、浄土真宗の私たちは何をすればよいのでしょう。

 

浄土真宗では、お盆は亡くなられた方をご縁として無常を見つめ、私たちが真剣に仏法を聞かせていただく日とさせていただかねばならない、と教えられます。

 

在りし日の故人の顔を思い浮かべるとき、様々な思い出がよみがえってきます。もう、この世で会えない身となってしまった故人は、しかし、私の確実な未来の姿でもあります。

 

日ごろ、自分が死ぬ身であることを忘れ、生に安心しきっていますが、“死”という無常の虎は容赦なく襲い掛かってくるのです。

 

やがて必ず死ぬのに、なぜ生きるのか、生きていかねばならないのか、人生の根本問題を仏教の教えによって解決する勝縁とするのがお盆です。

 

お盆に親戚一同が集まって、僧侶に読経してもらうところもあると思いますが、読経を「死者のためにあげてもらっている」と思われてのことならば、それはとんでもない仏教の誤解です。

 

「死者のために読経する」のは迷信だと、その誤りを教えて下されたのは、実に仏教を説かれたお釈迦様なのです。

 

なぜ迷信といわれるのでしょうか。

それは、お経がどのようにして成立したかを知れば明らかです。

 

お経とは、お釈迦様が、苦しみ悩む生きた人間を幸福にするために説かれた教えを、弟子たちが後世の人に書き残したものです。

だから、死人になされた説法は一つもありません。

 

厳粛な仏事を縁に無常を感じて聞法することは、有り難い勝縁となりましょう。

 

お盆に、一同に集まった家族や親戚の皆さんが、お経に説かれている教えを聞かせていただき、そこに説かれてある真実を知らされてこそ、お盆も意義深いものとなるのです。

 

お盆は、家族や親戚の皆さんが一緒に、親鸞聖人の教えを聞かれる御縁とされることが一番です。浄土真宗の住職、門徒総代の方々は、このようなお盆の意義をよくよく伝えていただきたいと思います。

 

 

関連記事

コメントをお書きください

コメント: 9
  • #1

    正雪 (火曜日, 13 8月 2013 07:08)

    東本願寺と西本願寺の違いまた。教えの違いを知りたいのですか、

  • #2

    原 正弘 (月曜日, 04 7月 2016 16:47)

    普段、どう生活に生かせばいいですか

  • #3

    三木 (土曜日, 05 8月 2017 19:58)

    大変 役にたちました。

  • #4

    明治 (月曜日, 13 8月 2018 06:04)

    大変勉強になりました。

  • #5

    (金曜日, 05 7月 2019 11:06)

    6月が娘の誕生日ですが忙しくてお祝いが出来なかったのでみんなが集まるお盆に誕生祝いもして良いでしょうか。

  • #6

    管理者 (土曜日, 06 7月 2019 11:48)

    ご質問、ありがとうございます。皆さんが集まられるお盆の機会に誕生日のお祝いをされるのは、まったく問題ありません。皆さんと、楽しいご縁になりますよう、念じております。

  • #7

    いの (日曜日, 02 8月 2020 13:19)

    初盆ですが、葬儀屋にいろいろお世話してもらい、置き型の盆提灯を購入しました。盆提灯は飾らないことを知りませんでした。予定では仏壇の横に置くのですが、やめたほうがいいでしょうか。

  • #8

    管理者 (日曜日, 02 8月 2020 22:34)

    いの様
    ご質問ありがとうございます。
    提灯を灯すことがいけない、ということではありません。盆提灯を、先祖の霊を迎える意味で灯す、ということは浄土真宗では一切、いたしません。
    あくまで、お灯明は、阿弥陀仏の智慧のはたらきを表すものです。
    亡くなった方をご縁として、無常を見つめ、阿弥陀仏のご本願を、皆さんと聞かせていただくのが、浄土真宗のお盆です。
    よろしくお願いいたします。

  • #9

    matsuda (金曜日, 12 8月 2022 03:41)

    昨年実父と配偶者が亡くなったことがきっかけで、自分自身慣れ親しんできた浄土真宗についてもっと知りたいと思うようになりました。正しい理解をしたいと考え、本を読んだりスマホで疑問を検索したりするうち、管理者様のところに辿り着きました。今は真夜中で2つ3つ読ませて頂いただけですが…とてもわかりやすく、納得できる内容でした。続けて読ませていただき理解を深めたいと思います。ありがとうございます。