浄土真宗のお彼岸とは
春分と秋分の日は「お彼岸」といわれます。
一般には、彼岸には、彼岸会と呼ばれる法要や、墓参りをするのが慣例となっています。
浄土真宗では、先祖にお参りする意味で墓参りをすることはありません。
ここでは、「彼岸」の意味を知ることで、浄土真宗の彼岸の仏事のこころを学びましょう。
「彼岸」の反対の言葉である「此岸」の意味は?
「彼岸」は「此岸」に対する言葉で、ともに仏教から出た言葉です。
「此岸」(こちらの岸)とは、私たちの住む世界のことで、仏教では娑婆(しゃば)世界ともいいます。
「娑婆」とは昔のインドの言葉で、堪忍土(かんにんど)とも訳され、耐え忍ぶ世界という意味です。
この世は、耐え忍ばねばならないことがたくさんあります。
“暑さ寒さも彼岸まで”という言葉があるように、猛暑の夏は
「息をしているのがやっとだった」
と、何とか忍んで秋を待つ人が多いことでしょう。
冬は厳しい寒気や大雪に苦しめられ、春が恋しい、あと何日でお彼岸かと、カレンダーを指折り見ています。
長引く不況で、生活を切り詰め、家計簿や財布と相談しながらの買い物。
景気のよかったバブルの昔を思うと、惨めな気分になります。
会社や家庭、近所づきあいでは行き違いや好き嫌いで煩わされますが、ガマンして笑っていなければ、やっていけません。
「朝夕の 飯さえこわし やわらかし 思うままには ならぬ世の中」
と歌われるように、日常のささいな事から人生を左右する大きな問題まで、思ったとおりにはならないことばかりです。
人生、辛抱が肝心と言われます。
「人生は苦なり」
と仰った2600年前のお釈迦様のお言葉に、誰しも頷かずにはいられないでしょう。
彼岸は阿弥陀仏のまします極楽浄土
そんな苦しみの世界であえいでいる私たちが、本当の幸福に救われる教えが仏教です。
どうすれば、真の幸福になれるのか。お釈迦様は、
「一向専念 無量寿仏」(大無量寿経)
と教えられています。
無量寿仏とは、阿弥陀仏という仏様のことです。
この大宇宙には、地球のようなものが、ガンジス川の砂の数ほど存在し、そこにはそれぞれ仏がましますと『阿弥陀経』というお経に説かれています。
それらの大宇宙の無量の仏方を十方諸仏と言われ、その諸仏の師匠にあたる仏が、阿弥陀仏なのです。
経典には
「最尊第一の阿弥陀如来」
「諸仏の中の王なり。光明の中の極尊なり」
と讃えられ、「無上仏」「本師本仏」とも教えられています。
「一向専念 無量寿仏」とは、その阿弥陀仏一仏に心を向け、阿弥陀仏だけを信じなさい、とのお釈迦様の教えです。
なぜ、このようにお釈迦様が教えられたのかといいますと、苦悩の世界から私たちを救ってくだされる仏は、大宇宙広しといえども本師本仏の阿弥陀仏のみだからです。
その阿弥陀仏の御国、極楽浄土を「彼岸」といわれるのです。
なぜ春分・秋分を「彼岸」といわれるのか?
では、春分・秋分をなぜ彼岸というのでしょう。『阿弥陀経』というお経に、
「これより西方、十万億の仏土を過ぎて世界有り、
名けて極楽と曰う」
とありますので、阿弥陀仏の極楽浄土(彼岸)を西の方角で表すようになりました。
春分・秋分は、太陽が真東から昇り、真西に入ります。
この日は、西方へ沈む夕日に極楽浄土を念じ、彼岸の日と呼ぶようになったようです。
『阿弥陀経』には、次のように続きます。
「その土(極楽浄土)に仏有す、阿弥陀と号す、
今現に在して説法したまう」
阿弥陀仏は、いま現に説法しておられます。
「苦悩の人々よ、我にまかせよ、永遠の幸せに必ず救い摂る」
阿弥陀仏の誓いは呼び声となって、今も大宇宙に響き渡っているのです。
彼岸は、苦しみの絶えぬ人生の意味を知り、阿弥陀仏の救いを求め、仏法を聞かせていただく御縁とさせていただきましょう。
浄土真宗の住職、門徒総代の皆さんは、ぜひ御門徒の方々に、お彼岸の意味をお伝えし、親鸞聖人のみ教えをお話ししていただきたいと思います。
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ぎんた (水曜日, 26 8月 2015 08:05)
浄土真宗西本願寺派の我が家ですが、今年は体調も悪くお盆に提灯を出さずじまいでこの事をお客様はどう思われただろうかと案じていましたが、真宗は提灯を飾らないと知り本当に驚きました!!またお経の意味などまさに目から鱗な真実に驚きの連続でした。少し気が楽になったように思います!!これからも阿弥陀様を拝みます、我が家の仏壇は中古で飾りも色々無いものもあります。生活にあった形で整えたいと思いました。ありがとうございました。
大智 (月曜日, 04 2月 2019 10:35)
すごく分かりやすくまとめておられますね。
是非、この文章を使って皆んなにひろめさせて頂きます�
有難う御座います�