浄土真宗の門徒総代にとって本来の仕事とは

浄土真宗の門徒総代を長く務めながら、門徒総代としての本来の仕事を知らないままなさっておられる方が少なくありません。

 

御門徒の皆様をまとめ、仏法に向かわれるように努めるのが、門徒総代の本来の役目です。

 

その役目を果たすためには浄土真宗、親鸞聖人の教えを自らがよく学び、御門徒の皆様から厚く信頼されるように日々の生活を教えに則した仏法中心の生活となるよう実践していくことが大切です。

 

「教えのことは何もわからない」

「『正信偈』は読み方もわからない」

と言われる方は、門徒総代の大事な務めを果たすために、これからしっかり学んでいくことが大切です。

 

最近、浄土真宗の教えを学ばれるようになったある方から、こんな話を聞きました。

 

祖父は浄土真宗の家で生まれ育ち、周りからの信頼も厚く、門徒総代を50年間、務めたそうです。

 

しかし、申し訳ないことですが、お寺のご住職さんのお話は、

「念仏さえ称えておれば死んだら極楽、死んだら仏。お念仏の日暮らしをしなさいよ」

という誤解された浄土真宗のお話でしたから、祖父は親鸞聖人の教えられたことはよくわからないまま亡くなりました。

 

結局、お寺さんのためにお布施を集めたり、行事があれば人を集めたりすることに一生懸命だった祖父も、肝心の親鸞聖人の御心にふれないまま後生へ旅立ったことが、悔やまれてなりません。

 

50年間の努力は相当のものであったと思いますが、門徒総代としての本来の役目を知らされないままでは、お孫さんが悲しまれるのも無理はありません。

 

門徒総代の本来の役割に意気込み

定年退職をして、門徒総代を引き継いだ60代の男性Aさんは、門徒がお寺をどんどん離れていくことを悩んでいました。


Aさんはそこで、浄土真宗に詳しい友人に、「浄土真宗について聞きたい」とメールをしました。

 

都内の喫茶店で2時間ほど、Aさんは友人と語り合ったそうです。

Aさんの友人は、かねてから浄土真宗の教えをよく学んでいたとのこと。


これまでは、さほど関心を持たなかったAさんも、自分が門徒総代となると、浄土真宗のことに関心を抱かずにはいられなかったのです。

 

Aさんは、お経の意味や、葬式や法事をどうしてするのか、など、日ごろの疑問を友人に尋ねたそうですが、1つ1つ、丁寧に答えてもらったそうです。

 

同時に、「やっぱり、教えを学ばないといけないな」と強く思われたとのことでした。

 

実は、Aさんが浄土真宗のことについて友人に相談したのには理由がありました。

少し以前に、お寺の住職さんに『正信偈』の意味が分からず、質問したら、

「そんな難しいこと、知らんでいい」

と言われたそうです。

親鸞聖人750回忌の年、Aさんは「何かしなければならない」と思い立ち、門徒総代として、御門徒の皆さんを集めて『歎異抄』の輪読会を始めました。

ところが第1章の冒頭の「弥陀の誓願」という言葉の意味が分からず、これを住職さんに尋ねると、
 
「そんな難しいこと、聞かんでくれ」
 
と言われてしまったとのこと。
 
「私たち門徒は、教えを知る必要はないのだろうか」
 
と疑問に思ったのでした。

 

住職さんの言動は、大変に残念なのですが、そこであきらめず、お友達に相談されたAさんのお気持ちの強さには頭が下がります。

 
お寺から門徒が離れていく現状を、Aさんはこう嘆いておられました。
 
「親鸞聖人650回忌には100万人の参詣者があったのに、700回忌では51万人になってしまいました。
 今度の750回忌は10万人も集まらないのではないかと心配しているんです」
 
「門徒総代として、親鸞聖人の教えをよく学んで、門徒の皆さんにも話をしていきたいと思っているんですよ」

と、Aさんは意気込んでおられました。

浄土真宗の門徒総代として実践すべきこと

浄土真宗門徒総代として、何を実践すべきなのか、特に大切なことをここにご紹介しましょう。

 

浄土真宗は「聴聞に極まる」教え

浄土真宗の門徒総代が何をなすべきかについて、その心得を知るには、浄土真宗の祖師、親鸞聖人の教えをよく学び、知ることが必須です。

 

お釈迦様も、親鸞聖人、蓮如上人も、共通に私たちに勧めておられることは「聴聞」です。

 

ここでは、蓮如上人のお言葉にそれを学びたいと思います。

 

至りて堅きは石なり、至りて軟かなるは水なり、
水よく石を穿つ。

「心源もし徹しなば、菩提の覚道、何事か成ぜざらん」
といえる古き詞あり。

いかに不信なりとも、聴聞を心に入れて申さば、
御慈悲にて候間、信を獲べきなり。

只仏法は聴聞に極まることなり。
(御一代記聞書)

 

“至って堅い石でも、至って軟らかい水で穴が開くではないか。
『初志を貫徹すれば成就できぬことはない』と昔からいわれるではないか。
どんなにしぶとく疑い深くとも、聴聞に身も心も打ち込めば、広大な弥陀のお慈悲によって必ず信心を獲ることができるのだ。
ただ仏法は聞くことが肝要である”

 

浄土真宗の先達は、聴聞の心がけについて、次のように教えてくださっています。

 

一、骨折って聞け。

二、衣食忘れて聞け。

三、間断なく聞け。

四、どうしても聞けぬ時は、聞いたことを思い出せ。

 

1番目の「骨折って聞け」とは、苦労して聞きなさいということです。

 

2番目の「衣食忘れて聞け」とは、聴聞中は衣服や食事など他のことに気を取られず、真剣に聴聞しなさい、ということです。

 

さらに、気の向いた時だけ、聴聞しているようでは信仰が進みません。続けて聞きなさい、と教えられています。

 

仏法を聞かせていただく御縁のない時は、聞いたことを思い出しなさい、とその心構えを教えられているのです。

 

また、誰の話を聞いても良いのではありません。

法話といいながら、中身は世間話ということであっては、聴聞になりません。

正しい教えを、正しく説かれる方から、真剣に聞かせていただくことが大切です。仏法は先生を選んで聴聞しなければならないのです。

 

朝晩のお勤め(勤行)を実践すること

日々の生活で大切なことは、朝晩の勤行です。

 

これは、親鸞聖人の『正信偈』と、蓮如上人の『御文章』を拝読することですが、この実践なくして、まじめな門徒総代とはいわれません。

 

一日も欠かしてはならないことです。

 

詳しい意義は、このサイトで紹介していますから、そこをよく読んで、毎日、ちゃんと実践させていただきましょう。

 

>> 「浄土真宗の勤行」について学ぶ

 

まずは、挨拶や笑顔の実践から

お釈迦様は、一生涯、善を勧められた方です。当然ながら、親鸞聖人も、蓮如上人も、私たちに善の実践を勧めておられます。

 

門徒総代として、率先垂範し、教えにしたがって実行していくことが大切ですが、まずは日常生活の中でも基本的な挨拶や笑顔を実践していきましょう。

 

挨拶や笑顔は、仏教の教えでも布施という善の実践にあたります。

 

お釈迦様は、「和顔愛語(わげんあいご)」の実践を教えられ、挨拶や笑顔のすばらしさを教えてくださいました。

 

笑顔で、あたたかい言葉を御門徒の皆さんにかけてあげて喜ばれないはずがありません。

 

それはそのまま仏の教えの実践なのです。

慕われる門徒総代となるために、また、大切なご家族に浄土真宗の教えを伝えるために、身をもって教えを実践していくことが大切です。

 

このサイトでは、浄土真宗の門徒総代として、ぜひ知っておきたい浄土真宗の教えについて、学べるようになっています。ぜひご参照ください。

 

>> 浄土真宗のQ&Aコーナー