蓮如上人のご布教

約800年前にお生まれになった祖師・親鸞聖人は、浄土真宗を開顕なされた90年のご生涯を送られました。それからおよそ200年、親鸞聖人から数えて8代目の本願寺法主に就任なされた蓮如上人は、

 

「御草鞋の緒くい入りきらりと御入り候」
(御一代記聞書)

 

とあるように、御足に草鞋(わらじ)の鼻緒の跡が残るほど布教に歩かれ、『御文章』による伝道で親鸞聖人のみ教えを正確に、多くの人に広められました。

蓮如上人のこんなエピソードがあります。

 

「蓮如上人へある人申され候、
 開山(親鸞聖人)の御時のこと申され候、
『これはいかようの子細にて候』と申されければ、
 仰せられ候、
『我も知らぬことなり、
 何事も何事も知らぬことをも
 開山のめされ候ように御沙汰候』
 と仰せられ候」

(御一代記聞書)

 

ある人が蓮如上人に、「親鸞聖人は、なぜそのようなことをなされたのでしょうか」と尋ねた時、「私も分からぬ、しかし、何事も何事も親鸞聖人のなされたようにするのがよい」と教えられたというのです。

ご自分の思いや考えは一切書かれず、常に親鸞聖人のみ教え一つ、忠実に伝えていかれた方が蓮如上人であったことが分かります。

 

遠路を厭わず仏法を伝えられた蓮如上人

蓮如上人がある時、関東からさらに北上され、奥州(東北)へ足を延ばされたことがありました。

19年前、この地で仏縁を結び、熱心に聞法していた夫婦がいたことを蓮如上人は思い出され、お弟子にお尋ねになりました。

「彼らは、その後、どうしているのか」

「健在です。仏法を尊び、求めております」

「よし、予定を変更して、彼らに会いに行こう」

弟子たちは驚きました。
その夫婦の家までは、片道2日間もかかるのです。

しかし、蓮如上人は、遠路を厭われませんでした。
どんな遠方の貧しい門徒であろうと、全く差別なく、仏縁を大切にされたのです。

迎えた夫婦は、思ってもみない蓮如上人のご来訪に、慶喜しました。
しかし、その日暮らしの貧しい農家です。

お客さまにお出しできるような食事は、何もありません。

困惑する夫婦に、蓮如上人は、優しく声をかけられました。

「そなたたちは、平生、何を食べているのか」

「稗(ひえ)というものだけです」

「それでいい。普段食べているものをこしらえてくれ」

蓮如上人は、貧しい夫婦と共に、稗のおかゆをすすられて、一晩中、仏法の話を続けられたといいます。

同行した空善房が、

「かように御身をすて、御辛労ありて、御すすめありたる……」

と記しています。

「一人でも聞きたい人があれば」と伝えられた蓮如上人

蓮如上人は、

 

「まことに一人なりとも信をとるべきならば、身を捨てよ。
 其はすたらぬ」

(御一代記聞書)

 

と仰せです。

“一人でも仏法を聞きたい人あれば、苦労を厭わず、仏法を伝えなさい”

と蓮如上人はご教示くださっています。

「身を捨てて」とは、自分の損得や生活のことを顧みず、の意です。

そのような御心で、蓮如上人がご苦労なされたからこそ、浄土真宗は全国に広まり、今日の私たちがあるのではないでしょうか。

その御恩を思うとき、浄土真宗の住職は、親鸞聖人や蓮如上人のお言葉を胸に、御心にかなうように浄土真宗の教えを御門徒の方々にお伝えしていかなければなりません。

 

>> 吉川英治の警鐘