浄土真宗の教えを求める御門徒たち(1)

弥七夫婦が求めた浄土真宗の教え

浄土真宗の祖師・親鸞聖人は、40歳を過ぎられてから還暦過ぎまでの約20年間を、関東で過ごされました。

 

茨城県の稲田というところを中心に、各地に仏教の教えを伝えられたのです。当時、関東の同行(御門徒)は、どのように教えを聞き求めていたのでしょうか。

 

稲田での聞法風景を偲ばせるエピソードとして、弥七同行の話が伝えられていますので、紹介しましょう。


稲田の草庵から三里(12キロ)ほど東の福田村に、弥七夫婦が住んでいました。二人とも、深く親鸞聖人の教えを信奉し、稲田でご法話の折には必ず聴聞に出掛けていました。

 

ところが、夫婦一緒に参詣したことがありません。あまりにも貧しく、外出着が一着しかないため、交互に参るより手がなかったのです。

 

ある日、妻は、稲田から、しょんぼりした顔で帰ってきました。
「婆さん、今日のご説法は、どんなお話だった」
「それが……」
「どうしたんだ?」
「実は、明日は、阿弥陀仏の第十八願の心をご説法されるのじゃ。親鸞聖人様も、仏法の要だから聞き逃さないように、との仰せじゃった」
「おう、それは有り難い。明日はわしの番じゃ」

弥七は喜んだが、妻の泣き出しそうな顔を見て、複雑な心境になった。

 

その夜、弥七は妻の泣き声で目を覚ました。彼には、妻の心が痛いほど分かる。
「なんとかできないものか……」

ふと、名案が浮かんだ。押し入れの中から古い〝つづら〟を出して言った。
「婆さん、もう泣くな。明日は、この中に入れ。わしが背負って運んでやるから」
翌朝、弥七は〝つづら〟をしっかり背負って稲田へ参詣した。草庵は、すでにたくさんの人で埋め尽くされている。弥七は、お話の聞こえやすい所に〝つづら〟を置いた。老婆は身を潜めながらも、真剣に聴聞している。

 

ところが、親鸞聖人のご説法中に、老婆の心に阿弥陀仏の呼び声が徹底し、絶対の幸福に救い摂られたという。喜びのあまり、念仏を称えながら〝つづら〟の中から、裸のままで飛び出してしまった。これを見て、参詣者は、ドッと笑った。

 

親鸞聖人は、
「静かにしなさい。外見をいくら美しく飾っても、心に、真実信心がなければ浄土へは行けませんよ。弥七の女房こそ、念仏者のお手本である」

と諭されたといいます。

 

何としても親鸞聖人から仏教の教えを聞かせていただきたい、という弥七夫婦の気持ちが伝わってまいります。

 

大切に浄土真宗の教えを聞き求めていたことがわかりますね。そうまでしてでも聞かねばならない大切なことが、仏教には教えられています。それを、当時の御門徒は教えを聞いて理解し、懸命に聞き求めていたのです。

 

親鸞聖人の教えを正しく、丁寧に話をすれば、御門徒の方々は、喜び喜び聞き求められるようになります。

 

>> 教えを求めた御門徒たち(2)

 

 

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コメント: 1
  • #1

    安武 勇 (土曜日, 15 7月 2017 21:08)

    昔は本堂は開放されていて、何時でもお参りが出来ていたものが今では坊守様は、浮浪者の侵入があり防犯上、鍵を閉めているとのこと。浮浪者等の貧しい方があれば、食事やお風呂の提供で救いの手を差し伸べる気持ちが有って欲しいと感じました。又、法事の依頼は出向いてお願いして、お寺様が身近で親しみやすかったのが電話で結構と門徒を寄せ付けない体質に変わってきて、出前の坊さんでも良いのかなと感じます。