浄土真宗の教えを求める御門徒たち(2)
何がなくても仏法だけあれば幸せ
「生きてパッと消えていく。
人間ってこんなもの?
何のために、人は生きるの?
このままで終わるなんて、納得できない。何かあるはず……」
浄土真宗の御門徒のAさん(70)が疑問を覚えたのは、40年連れ添った夫が、先立ってからのことでした。
命のはかなさを身につまされ、浄土真宗の教えに光を求めたのです。
「親鸞聖人のお名前を見ると、なぜか胸が熱くなって……。
他の文字とは違う、懐かしい思いがするんです」
と語ります。
故郷の兵庫県は、浄土真宗の盛んな地です。
御仏壇の横の「親鸞」と書かれた額を毎日目にして、母に連れられ寺参りにも行き、朝晩『正信偈』を読む母を見て育ちました。
夫が亡くなってからは、新聞でも雑誌でも、親鸞聖人に関する記事には隅々、目を通すようになりました。
新刊が出るたび求めた書籍は、十数冊に及びます。厳しくも慈悲深い親鸞聖人が描かれた小説を、毎日読んでは涙していました。
ある日、浄土真宗で有名な『歎異抄』を解説された『歎異抄をひらく』という本の新聞広告が目に留まりました。
その日すぐに購入し、いつも手元に携えて、仕事の合間に幾度もページをめくりました。
最も心打たれたのは、第二章だったと言います。
関東の同行たちが、一月もかけ、命懸けで京に向かう。
「そこまでして聞きに行くのはなぜ?
彼らをここまで動かす力は何だろうと思いました」
同時に、読んでも読んでも理解の及ばない、あまりに深い内容に戸惑ってもいました。
「親鸞聖人は、壮絶な修行をなされ、勉学にも励まれたお方。
そんな方が〝地獄は一定すみか〟と仰るのです。
でも同時に、阿弥陀仏に救われたことを喜んでおられる。
そんな不思議な世界が浄土真宗に教えられていたのですね」
生きる目的を知らされて、浄土真宗の教えを聞かせていただくたび親鸞聖人の教えに遇えた喜びは深まっていきます。
「とにかくご説法が待ち遠しいんです。
浄土真宗の教えを聞かせていただけることが、何よりも幸せ。
何がなくても、仏法だけあればいいと思っています」
親鸞聖人といえば『歎異抄』といわれるほど有名な『歎異抄』は、仏教書で最も多くの人に親しまれているといわれます。
古文で書かれてあり、仏教用語も多く使われているので、現代人がそのまま読むには難しすぎるのですが、どことなく不思議な魅力が伝わってくるのです。
御門徒で、『歎異抄』に関心を持ち、意味が知りたいと言われる方も多いので、住職で質問を受けた方も多いでしょう。
その時、どのように答えたでしょうか?
「おそらく、こういう意味でしょう」
「私には難しくてよくわかりません。聞かないでください」
「そんなことは知る必要はありませんよ」
このように言われた御門徒が少なくないのです。
御門徒の皆さんが知りたいのは、正しい親鸞聖人の教えです。
意味を知らないのに、その場で思いついたことを答えたり、教えを伝える御縁なのに拒絶したりするのは、親鸞聖人の御心に合わないでしょう。
正しい浄土真宗の教えを学んで、正しい親鸞聖人の教えを伝えられるように、日々、努めていくことが浄土真宗の住職として、また門徒総代として大事です。
Aさんのように、御門徒の皆さんが喜ばれますよ。
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