浄土真宗の根本聖典『教行信証』とは
浄土真宗の教えを知るには
浄土真宗の住職や門徒総代は、御門徒の皆さんに正しく親鸞聖人の教えをお伝えする使命があります。
「私はこのように考える」
「他の人は知らんが、私の見解はこうだ」
というように、決して自分の勝手な思いで教えを語ってはならないのです。
それが正しい浄土真宗の教えであるかどうかは、親鸞聖人の書き残してくだされた書物によって知ることができます。
親鸞聖人が教えておられないことは、浄土真宗の教えとは言えません。
『教行信証』で親鸞聖人の教えのすべてがわかる
親鸞聖人は、数々の書物を書き遺しておられます。
還暦を過ぎられた親鸞聖人は、関東から懐かしき京都に帰られ、以後、多くの時間を著作にあてておられます。
- 『浄土和讃』『高僧和讃』(76歳)
- 『唯信鈔文意』(78歳)
- 『浄土文類聚鈔』『愚禿鈔』『一念多念文意』(83歳)
- 『往相廻向還相廻向文類』『西方指南鈔』(84歳)
- 『浄土三経往生文類』『正像末和讃』(85歳)
- 『尊号真像銘文』(86歳)
- 『弥陀如来名号徳』(88歳)
ご著書のほとんどを、この時期に執筆なされたといっていいでしょう。
中でも、親鸞聖人のみ教えのすべてが著された、浄土真宗の根本聖典『教行信証』は、親鸞聖人が常陸国稲田の草庵で大綱をまとめられ、京都にお帰りになられてから、お亡くなりになるまで加筆修正を重ねられた畢生の大著です。
正式には、『顕浄土真実教行証文類』といい、親鸞聖人の正しいみ教えか否かの基準となります。
教巻、行巻、信巻、証巻、真仏土巻、化身土巻の6巻構成、多くは釈迦の説かれた経典と、それを解釈した高僧の書物からの引用です。「文類」とは、それらの経釈から文章を集めたものということです。
親鸞聖人の教え=仏教
親鸞聖人は常に、こう言われています。
「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、
如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」
“親鸞の伝えていることは、今まで誰も説かなかった珍しい教えではありません”
ということです。
では何を伝えられたのでしょう。それは「如来の教法」だと仰っています。
“釈迦如来の説かれた仏教を、親鸞、間違いないとハッキリ知らされたから、皆さんにも教えているだけなんだ”
と言われているのです。
“ばかりなり”とは大変強い言葉で、それ以外ない、それだけだ、ということです。
「親鸞、更に私なし」
ともおっしゃっています。親鸞聖人つねの仰せのとおり、自分の考えを交えず、お釈迦様の説かれた仏教をそのまま伝えられたことが『教行信証』にハッキリ示されているのです。
大歓喜の声が響きわたっている『教行信証』
『教行信証』は浄土真宗の根本聖典であり「御本典」と呼ばれています。
「よろこばしきかな」(総序)
で始まり、
「よろこばしきかな」(後序)
で終わるこの書は、どれだけ書いても書き尽くせない、阿弥陀仏に救われたあふれる喜びと感謝が縷々したためられています。
全6巻からなる『教行信証』は、多くの識者を魅了しています。
近代日本の哲学者・三木清は
「思索と体験が渾然一体となった稀有の書、
根底に深く抒情をたたえた芸術作品」
と称賛し、文芸評論家の亀井勝一郎は
「『教行信証』全巻には大歓喜の声が響きわたっている」
と驚いています。
この『教行信証』を圧縮されたのが、行巻末に記されている『正信偈』です。
毎日、大切に拝唱させていただきたいものです。
『教行信証』はじめ、親鸞聖人の書き残された書物は、一般の方には難しく、自分で読んで正しく理解することは困難です。しかし、それをよく学び、正しく理解し、御門徒の方々にお伝えするのが住職であり、門徒総代の役割ですから、自分の勝手な思いで教えを語ることのないように、よく親鸞聖人の教えを学ぶことが大切です。
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