『歎異抄』とは
明治から平成の今日まで読み継がれてきた『歎異抄』は、親鸞聖人の肉声を伝える格調高い名文として、思想家、哲学者、作家をはじめ、多くの人々に親しまれ、称賛されてきました。
御門徒の皆さんも読んでおられる方も多いでしょう。
その不朽のベストセラー『歎異抄』について学びたいと思います。
『歎異抄』の基礎知識
『歎異抄』が成立したのは、約700年前の鎌倉時代中期です。
親鸞聖人といえば『歎異抄』と言われるほど有名ですが、親鸞聖人の書かれたものではありません。
書かれたのは親鸞聖人が亡くなられた後で、著者は、現在も確証はありませんが、親鸞聖人の弟子・唯円であろうといわれています。
『歎異抄』というタイトルは、「異なるを歎いた書」という意味です。
序文に、
「ひそかに愚案を廻らして、ほぼ古今を勘うるに、
先師の口伝の真信に異なることを歎き」
“ひそかに愚かな思いを廻らし、親鸞聖人ご在世と、今日をみるに、直に親鸞聖人のご教授なされた真実信心と、異なることが説かれているのは、嘆かわしい限りである”
とあるように、親鸞聖人亡き後、仰せと異なることを言いふらす者が多く出現しました。
著者はそれら異説の誤りを、親鸞聖人から直接お聞きした言葉を物差しとして、正そうとしたのです。
『歎異抄』は18章から成ります。
さらに、1章の前に序文、10章のあとに別序、18章のあとに後序と流刑にまつわる記録があります。
【歎異抄の構成】
- 序文
- 第1章~ 第10章
- 別序(11章以降の序文)
- 第11章~第18章
(1~10章の聖人のお言葉を物差しとして、異説を批判) - 後序
- 流罪にまつわる記録
(聖人35歳の時に遭われた越後流刑についての記録)
魅惑の書『歎異抄』
『歎異抄』の魅力は、まずその流麗な文章にあります。
全文を暗唱する愛読者もあるほどです。
総刊行数、5400冊以上の岩波文庫において、昭和六年に刊行された『歎異抄』は、今日まで117万部以上を売り上げ、多く読まれた本ベストテンの8位に入っています。
これほど多くの読者を持つ日本の古典作品は異数ともいえましょう。
一方、有名な「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」(第3章)に象徴されるように、『歎異抄』は全編が謎めいた逆説に満ちています。
浄土真宗の学者をはじめ、多くの評論家、思想家がこぞって独自の解釈を発表し、これまで、さまざまな解説本が、毎年10数冊のペースで発刊されてきました。
国内最大の蔵書数を誇る国立国会図書館にある『歎異抄』の関連本は、500冊以上といわれます。
また、日本にとどまらず、英語、中国語、韓国語など多くの言語に翻訳され、世界中で愛読されています。
絶賛される『歎異抄』
「いっさいの書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」
(第二次世界大戦末期、空襲の火災を前に)
西田幾多郎(明治3~昭和20)
日本を代表する哲学者。京都大学で永年教鞭を執り、多くの優秀な哲学者を育てた。その哲学体系は「西田哲学」と呼ばれ、主著『善の研究』は、かつては学生の必読書だった。
「万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる」
三木清(明治30~昭和20)
西田哲学の流れをくむ京都学派の代表的な哲学者。ドイツに留学し、ハイデガーにも師事した。戦時中に投獄され、刑務所で論文『親鸞』を執筆中に獄死。「ぼくは親鸞の信仰によって死ぬだろう」と語っていた。
「歎異鈔よりも求心的な書物は恐らく世界にあるまい。(中略)文章も日本文として実に名文だ。国宝と云っていい」
倉田百三(明治24~昭和18)
『歎異抄』から深い感動を受けて著した戯曲『出家とその弟子』は大ベストセラーになり各国で翻訳。フランスの文豪ロマン・ロランが激賞したことでも有名。
20世紀最大の哲学者といわれる、ドイツのマルティン・ハイデガー(1889~1976)も、晩年の日記に、『歎異抄』についてこのように記したといわれています。
「今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の歎異抄を読んだ。弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけりとは、何んと透徹した態度だろう。もし10年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び聖者の話しを聞いて、世界中に拡めることを生きがいにしたであろう」
『声に出して読みたい日本語』で知られる教育学者の齋藤孝氏(明治大学文学部教授)が、
「この(歎異抄の)言葉そのものに出会うことができなかったとしたら、おそらく、日本人にとっては非常に大きな損失であったでしょう」
と述べています。
自身の手掛ける「音読テキストシリーズ」の第3弾に『歎異抄』を選び、その理由を「はじめに」の中で、こう書いています。
「歎異抄の言葉が、私たちの心に素直に入って、深いところへとどまる力を持っていると感じたからです。(中略)歎異抄を声に出して読むと、親鸞が生の声で自分に語ってくれているという感触が伝わってきます」
歴史小説で有名な司馬遼太郎氏は、第2次世界大戦で召集された際に初めて手にした『歎異抄』について、次のように述懐しています。
「死んだらどうなるかが、わかりませんでした。人に聞いてもよくわかりません。
仕方がないので本屋に行きまして、親鸞聖人の話を弟子がまとめた『歎異抄』を買いました。非常にわかりやすい文章で、読んでみると真実のにおいがするのですね。
人の話でも本を読んでも、空気が漏れているような感じがして、何かうそだなと思うことがあります。『歎異抄』にはそれがありませんでした。(中略)
ここは親鸞聖人にだまされてもいいやという気になって、これでいこうと思ったのです。兵隊となってからは肌身離さず持っていて、暇さえあれば読んでいました。
私は死亡率が高い戦車隊に取られましたから、どうせ死ぬだろうと思っていました」
司馬遼太郎は、「無人島に1冊の本を持っていくとしたら『歎異抄』だ」とも語っています。
司馬遼太郎(大正12~平成8)
歴史小説家。昭和35年に『梟の城』で直木賞受賞、その後も数々の文学賞を獲得。『竜馬がゆく』『坂の上の雲』など4作品が1000万部を超えている。
他にも多くの著名人が『歎異抄』を絶賛しています。
危険な書『歎異抄』
多くの人々の心をつかんでやまない『歎異抄』ですが、実は、現在のように広く世に知られるようになって、まだ100年もたっていません。
長い間、この書は封印されており、浄土真宗の人々にもその存在を知られていなかったというのです。
現存する最古の『歎異抄』は、500年前の浄土真宗中興の祖・蓮如上人が書写されたものです。その奥書として、次のように書き加えられています。
「右この聖教は、当流大事の聖教たるなり。
無宿善の機に於ては左右無く之を許すべからざるものなり。
釈蓮如」
“この『歎異抄』は、浄土真宗の大事な聖教である。仏縁浅き人には、誰彼となく拝読させてはならぬものである”
親鸞聖人の教えを、正確に多くの人に伝えていかれた蓮如上人が、この『歎異抄』だけは、「仏縁浅き人には、読ませてはならない」と封印されたのです。
なぜ、読ませてはならないとおっしゃったのでしょう。
それは、『歎異抄』には、親鸞聖人の教えを正しく知って読まねば、とんでもない誤解をする部分が多くあるからです。例えるならば、大人には重宝なカミソリも、使い方の分からない子供に持たせると、自分や他人を傷つけ危険なようなもので、「カミソリ聖教」ともいわれます。
『歎異抄』を正しく読むには、聖人の教えを正しく知らねばなりません。それにはどうすれば良いのでしょうか?
親鸞聖人90年の教えのすべては、主著『教行信証』に書き残されています。自ら筆を持って書かれ、臨終まで手元に置いて加筆修正を重ねられた著書なのです。親鸞聖人の教えを正確に知るには、まず『教行信証』を読まねばならないとお分かりでしょう。
親鸞聖人の教えを正しく理解して、初めて『歎異抄』の真意を誤りなく読み取ることができるのです。
浄土真宗の住職、門徒総代の皆さんが『歎異抄』を学ばれる上で、親鸞聖人の『教行信証』のお言葉で解説されている書籍がありましたので、ご紹介します。
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