浄土真宗の御本尊

浄土真宗の御本尊は、阿弥陀仏といわれる仏様です。

 

御仏壇には、阿弥陀仏一仏(南無阿弥陀仏)をご安置し、その他のもの(仏像や位牌、写真等)は一切、置かないようにいたしましょう。

お釈迦さまは、仏教の結論として、

 

「一向専念 無量寿仏」(大無量寿経)

 

“阿弥陀仏一仏に向き、信ずる身になれ”と、お勧めになっています。

 

なぜならば、私たちを本当の幸せに救う力のある仏は、大宇宙広しといえども、阿弥陀如来しかおられないからです。

これはお釈迦さま自身が仰っていることなのです。

 

このご金言どおり、「阿弥陀仏一仏を信じよ。必ず幸せになれる」と、生涯教えていかれた方が親鸞聖人です。

 

この「一向専念無量寿仏」を強調されたから、親鸞聖人の教え、浄土真宗は一向宗ともいわれ、阿弥陀仏一仏に合掌礼拝し、その他のものは一切、礼拝の対象としないのです。

 

墓石に「南無阿弥陀仏」と刻まれているのも、そのためです。

 

御仏壇は大きいほうがいいのでしょうか?

仏壇には、何百代と呼ばれる大きなものから、ワンルームの住居に置ける小型タイプまでいろいろありますが、目的は御本尊を荘厳することにあります。

 

本尊とは「根本に尊ぶべきもの」と書くように、私たちにとって最も大切なものです。

 

ですから、仏壇そのものが尊いのではなく、御本尊が尊いから御仏壇があることを、よく知っていただきたいと思います。

 

人間でも、敬うべき方を招待する時は、それにふさわしい、きれいな客室を用意します。

 

実際に御仏壇を選ぶ際には住居の大きさ、仏間のスペースなども考慮しなければなりません。

 

御仏壇の大小に関わらず、最尊第一の阿弥陀如来をご安置する御仏壇ですから、ほこりをかぶっていては申し訳ないことです。

*代……御仏壇の大きさを表す単位のこと

 

本尊には何種類もあるのですか?

一般に本尊と呼ばれるものには「木像」「絵像(絵に描いた阿弥陀仏)」「御名号(南無阿弥陀仏)」の3とおりがありますが、浄土真宗では「御名号」が正しい本尊であると教えられます。

 

阿弥陀仏の本願は、「名号を聞く一念で救う」という誓いだからです。

 

名号は「すべての人を、絶対の幸福に救いたい」という阿弥陀如来の強い願いによってつくられた大功徳です。

 

その名号のいわれを聞く一念に絶対の幸福に救われ、無上の功徳(南無阿弥陀仏)と一体となるのだと、お釈迦さまは教えておられます。

 

親鸞聖人はそのお釈迦様のご教示により、生涯、御名号のみを本尊とされ、弟子や同朋たちにもお勧めになったのです。

 

このことからも、親鸞聖人が名号を本尊となされたのは、時代背景や住居の影響とかというような、枝葉末節の問題でなかったことがお分かりになると思います。

 

この親鸞聖人の教えを無我に相承なされた蓮如上人は、

 

「他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』というなり。
 当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり」

(御一代記聞書)

 

“真実の弥陀の救いを知らない人たちは、名号よりも絵像(絵に描いた阿弥陀仏)がよい、絵像よりも木像本尊が有り難く拝めるからよいと言っている。
だが親鸞聖人は、木像より絵像、絵像よりも名号が浄土真宗の正しい御本尊であると教えられている”


と、浄土真宗以外の他流と比較して、浄土真宗の正しい本尊は御名号であることを誰にでも分かるように教えられています。

 

蓮如上人は、正しい親鸞聖人のみ教えを伝えるために、御門徒に御名号本尊の下付を積極的に行われました。

 

事実、蓮如上人ほどたくさんの名号を書かれた方はありません。御門徒に御本尊を下付されるために、多いときは一日に300もの御名号を書かれたいう記録もあるほどです。

 

親鸞聖人、蓮如上人のお勧めにしたがい、御名号本尊をお迎えすれば、まことに両聖人もお喜びになられることでしょう。またそれが本当の意味で、先祖の喜ばれることにもなるのです。

わかりやすく解説された動画がありましたので、ご覧ください。

 

脇掛けについて

御本尊の左右に掛けられている御影(お姿)はどなたですか、とよく尋ねられます。

 

右側が親鸞聖人、左側が蓮如上人です。

 

阿弥陀仏の救いを正しく伝えてくだされた善知識(正しい仏教の先生)の遺徳をしのび、御影をお掛けしています。

 

 

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